“ファインドミーマーク”でダウン症の子を育てる家族がつながる。想い込めたキーホルダーを名古屋から Part.1
Instagramを中心に話題を呼び、テレビや新聞でも取り上げられた「ファインドミーマーク」。製作したのはご主人と2人でトリクマCLUBを主催する山口郁江さん。ダウン症の子どもを育てる家族をつなげるためのキーホルダーを自主製作し、日本中の同じ想いを持つみなさんに届けています。名古屋ベビータイムズでは、山口さんの想いと活動についてお聞きしたロングインタビューを行い、2回に分けてご紹介します。前編は、ファインドミーマーク製作のきっかけとなった、ダウン症で生まれた長女の紗楽ちゃんの出産直後からファインドミーマーク完成までのお話です。
「誰か私を見つけて」想いをつなげるキーホルダー“ファインドミーマーク”とは
名古屋ベビータイムズがトリクマCLUBの山口さんに取材依頼をするきっかけとなった「ファインドミーマーク」。このキーホルダーを付けていれば「ダウン症の子どもを育てている家族や本人と繋がりたい」「話しかけていいよ」「話しかけて!」という意思表示になるというもの。
キーホルダーを自主製作し、名古屋から日本中のご家族に届けているトリクマCLUB・山口郁江さん。長女の紗楽ちゃんはダウン症で産まれました。出産直後、病院でダウン症の子どもを持つ他の家族と話したいから紹介してほしいと思っても難しくて、孤独を感じていたと話してくれた山口さん。「誰か私を見つけて」。ファインドミーマークは、まさに山口さんの当時の心の声をカタチにしたもの。他の人に助けを求めるものではなく「話しかけてもいいよ」の意思表示と、不安や孤独を感じている方に「一人じゃないよ」と伝えるためのキーホルダーです。
出産後に分かったダウン症
妊娠後2回目の検診で「妊娠糖尿病」が分かり、大学病院へかかるようになった山口さん。何とか無事出産を迎えるも、山口さん夫婦は予想しなかった事態と向き合うことに。
妊娠5ヶ月目ごろから1日にインスリン3回と血糖値計測を6回する生活になっちゃって。先生も周りも私の身体のことばかり気にしていた感じでした。健診でも「おなかの子どもは体重も順調に増えています」程度だったし。そのままその大学病院で出産した時も、性別が知りたくて『どっちですか?』と聞いたくらい。『女の子ですよ』との答えに『女の子かー。めっちゃ疲れた〜』と思ったぐらいで。でも、その直後なぜか周りがざわざわしていて。『小児科の先生呼んで!』みたいな。赤ちゃんは産まれてすぐに体温計をお尻の穴から差すんですが、穴が閉じている鎖肛(さこう)という状態で紗楽ちゃんは生まれてきたようで、産後の処置を受けながら「鎖肛なんで、すぐに手術します」と先生に言われても、私も夫も『さこうってなんですか??』って状態のまま『レントゲンをとってから手術で人口肛門をつくります』と説明されたんです。それでもその時はまだ『手術したら治るのかな』なんて軽く考えていました。
分娩台の横ですぐに「鎖肛」について調べた夫・周平さんが「鎖肛がダウン症に多い合併症」だと言うことを教えてくれました。出産後、子どもの顔をまともに見る時間もなかったから、夫が写真を撮ってきてくれて。2人で写真を見ながら『顔つきがダウン症っぽいね』『上の子と顔つきがちがうね。』って話していました。でも先生も看護師さんもそのことについてはっきりとした説明はなく、優先度の高い鎖肛の処置をしていました。自分たちでダウン症の特徴について検索してみると「折れ耳」とか「ますかけ線」とか出てきて…その特徴も一致してたので『きっとダウン症だね』と夫と2人少しずつ覚悟して。『健康に産んであげられなくてゴメンネ』って気持ちはずっとありました。
「人口肛門の手術をした後、先生に『ダウン症ですか?』って聞いたら『そうかもしれませんが、断定はできませんが筋力が弱い感じがするので染色体の検査(ダウン症の確定診断)をしますか?』って。『やってください』と。内心では『絶対ダウン症だな』と確信してたんですけどね。紗楽ちゃんはそのままNICU(新生児集中治療室)で入院することになり、私は3日後に退院して、毎日NICUに通う生活が始まりました。
夫と2人で受け入れた確定診断と気づかされた友達の一言と救われた時間
ダウン症の確定診断の検査結果が出たのはそれから約1ヶ月後。その間手術を乗り越え、NICUからGCU(新生児回復室)に移動して、もうすぐ退院というちょうど「人生で一番濃い1ヶ月」が過ぎた頃だったと言います。
検査結果はその場では教えてもらえず、病院の方針で『診断は夫婦で聞いてくださいね』と言われ、ちょうどその日仕事が忙しかった夫が風邪を引いたタイミングで。ちなみに熱は40度!!(笑)。そんな中2人で先生からダウン症だという確定診断を聞きながら、『わかってました』と心の中でつぶやいていました。私も夫も理解が早かったと言うか…2人目ということもあってなのか出産直後から受け入れてたのでガーンと落ち込むわけでもなく、割と冷静でした。『幸せにしてあげようね』と2人で話していました。その後も紗楽ちゃんは合併症のため手術や入院が続き、機械やチューブにつながれて痛々しかったけど、生きるためには『しょうがないから』『やるしかないから』となるべく前向きに考えるようにしていました。低体重の子が多く入院している中、3キロの紗楽ちゃんを見て『大きすぎでしょ!』って笑うくらい。紗楽ちゃんはやっぱりかわいいと心から思えました。
Instagramにストーリーで『陣痛きた』とアップしていたこともあり、友達から『無事産まれた?』とDMやLINEが届いてて。正直、どう報告しようかと迷いました。でも返事をしないままだと心配させてしまうし、『産まれたんだけど、元気ではない。ちょっとショッキングだけどダウン症かもしれない』と送りました。すると1人の友達が『ぜんぜんショックなことじゃないよ。自分のかわいい子どもだし、おめでとう!』と返信してくれたんです。その言葉を読んで『なんで私はショッキングなんて言っちゃったんだろう。本当だ!ぜんぜんショッキングなことじゃない!』と気がつきました。その友達はすぐに病院に搾乳機を届けに来てくれました。その時には『ダウン症だから、私、看護師さんにめちゃ気つかわれているんですけど(笑)。』って、普通に笑っていろいろな話ができてて。後になって気づいたことですが「その時間」に私は救われたんだと思います。
知り合いを作りたくても作れない現実、そしてファインドミーマークが生まれた
退院後、知りたいことがたくさん出てきて、ダウン症の子どもを育てる他の家族を探し始めた山口さん。しかし病院では知り合うことができず、SNSを通じて探し始めます。
出産した大学病院で先生に聞いてみたんですが『いることはいるけど、個人情報だから教えられない』と言われて。2人目だけど、ダウン症の子どもを育てるのは初めての経験です。さらに合併症やストマ(人口肛門)のことや体験談なんかを実際にダウン症の子どもを育てている人から聞きたかったんです。情報はいくらあっても足りなかった。」
病院で教えてくれないとなると、自力で探すしかない。そこからはInstagramで探していきました。すぐに2~3歳のダウン症の子どもを持つママさんたちが見つけてくれて、いきなりDMをくれました。本当にSNSはすごい。ダウン症の子どもを持つ親同士がInstagramで繋がるようになったのはここ3~4年のこと。本当にいい時代でよかった!ただ、それでも近所で見つけるのは時間がかかりました。自治体ごとに違う支援の情報もあり、もっと具体的に知りたかったのに。
ちょうど紗楽ちゃんが2歳を迎えたころ、病院の待ち合い室で山口さんは「ファインドミーマーク」製作のきっかけとなる夫婦に出会います。
予防接種を打ちに紗楽ちゃんと毎月、大学病院に通っていたんですね。ある日おしゃれなご夫婦がいたんです。素敵な方たちで『話しかけてみたいな、話しかけようかな、どうしようかな』って迷ってたんですね。ダウン症の子どもを持つ親は、自然とダウン症の子どもを目で追ってしまうものなんですが、そのご夫婦も紗楽ちゃんがよちよちしているのをじっと見てたんです。でも抱っこされてる赤ちゃんの顔を見てないから私も確証が持てなくて。『うちの子もダウン症ですよ』などと声をかけてしまうと『うちの子ダウン症に見えるんだ…』とショックを受けてしまう方もいるしどうしようかと迷っている間にその夫婦は席を立っていなくなってしまったんです。
大学病院を受診するということは、ダウン症じゃなくても何らかの医療サポートが必要な赤ちゃんであることは間違いなくて。そのご夫婦もひょっとしたら不安や孤独感を感じているかもしれない。声を掛けるべきだった〜とずいぶん後悔しました。結局帰ってからもモヤモヤは続いて。ママ友と遊んでいる時にその話題になり、ママ友に『で、声かけたの?』と聞かれて『いや、かけれなかった〜。なんか目印みたいなものがあったらいいのにね』って話になって、『もう、分かったわ、私つくるわ!』みたいな感じになって(笑)。それがきっかけです。
「誰か私を見つけて」=ファインドミーマーク
もともと山口さんは思い立ったら即行動派。約2日ほどでファインドミーマークのデザインが完成したと言います。
ファインドミーマークという名前はすぐに思い浮かびました。出産当初、病院でダウン症の子どもを見かけては、怪しまれたら嫌だなと思いながらもその家族を凝視しながら『声をかけて〜』とテレパシーを送っていました(笑)。結局気づいてもらえず…でもずっと『誰か私を見つけて〜』って思っていたんです!だから“ファインドミーマーク”にしました。
グッズ製作の仕事をしている友達にも相談しながら、すぐにデザインも完成しました。友達に『ダウン症ってもっと分かりやすくしないの?』って聞かれたんですけど『いや、これは知ってる人が分かればいいマークだから!』と。あえてダウン症を連想させるモチーフを避け、かわいく普段付けやすいデザインにしたんです。このクマも自分で描いたんですよ。モデルは紗楽ちゃん。ハートのイラストと一緒に『Thank you for finding me!』見つけてくれてありがとうの言葉を添えました。デザインが完成したら試作をつくって、友達に意見を聞いて、なんとか完成しました!
そうしてダウン症の特徴である染色体の「21トリソミー」と紗楽ちゃんがモデルの「クマ」を組み合わせた「トリクマCLUB」を、2020年の年末に夫と2人で立ち上げました。
発表するとすぐにInstagramのコメントやDMの通知が鳴り止まない!こんなこと初めてでびっくりしました。DMは100通を超えて。『これはすごいことになってきたぞ』と。当初、周りの友達に50個くらい配れたらいいなと思って気軽にした投稿の反応が想像以上で。『これがバズったってやつか!』と思いました(笑)。最初につくった100個では足りなくて、追加で200個発注。Instagramでは「素敵なアイデア♥」「活動を応援しています」「見えるところに堂々と着けて、声をかけてもらいたいです」などのコメントをたくさんいただきました。
「ファインドミーマークはもともと仲間を見つける役割だったんですが、配った方の中に“お守りみたい”と言ってくれる方が多くて『持っているだけで声をかける勇気が出てくるし、一人じゃないんだって思える』なんて嬉しい言葉をいただいたり。すごくありがたい話ですね。SNSの反響以外にも、ファインドミーマークをきっかけに、『実は私もやりたいことがあって』『なんだかパワーをもらった』と考えてることを行動に移した友達もいたりして。影響し合いながら周りの動きも活発になっていった感覚がありましたね。
話題を呼んだファインドミーマーク。製作の裏には夫・周平さんをはじめとした家族の支えが常にあったと山口さん。
ファインドミーマークを思いついた時、すぐに夫に相談してみました。『いいじゃん!』と賛成してくれたんです。本当に嬉しかった。実は、Instagramで反響があった後にも『こんな大々的に住所を集めて、アカウント乗っ取られたらどう責任とるんだ?』とDMで指摘されたこともあります。その指摘を受けて夫がセキュリティーの高いホームページを作ってくれて、個人情報のやり取りを安全に行えるようにしてくれたんです。その指摘に最初は驚きましたが、配慮すべき点に気がついて体制を整えることにつながりました。今となっては本当に感謝しています。一緒に住んでいるお義母さんにも感謝しています。紗楽ちゃんは産まれてから5回を数える手術など、大変なことも多かったし、トリクマCLUBをスタートさせてからも本当にたくさんサポートしてもらっています。今、6歳になる長男も、活動を応援してくれていて。でも内容までは理解しきれていないみたいで『よくわかんないけど、キーホルダー配ってるんでしょ』って感じで(笑)。でも時には…寂しい気持ちにさせてしまったこともあると思うんです。入院が続いたときでも涙を我慢して笑顔でいてくれて…やっぱりお兄ちゃんなんですね。私一人じゃ何もできませんから。家族には本当に感謝しています。
山口 郁江(やまぐち いくえ)
愛知県出身、名古屋市在中。長女の紗楽ちゃんがダウン症で産まれたことから、ダウン症の子どもを持つ家族のつながりの必要性を感じ、夫の周平さんとともにトリクマCLUBを立ち上げる。“ファインドミーマーク”キーホルダーを自主制作し、全国へ無料配布する活動を行っている。